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献辞は「わたしの五人のこどもたちへ」となっていて、この「こどもたち」はE氏にとっては孫たちだ。 そうした家族のよき関係の中ででき上がったというのは幸せな本だと思う。
物語は、子どもたちが大きくなって忘れられた人形たちが戸棚の中に入れられている場面から始まる。 ぬいぐるみのくまのダンディ、人形のケイト、ちびくまのテディの三人だ。
忘れさられてずいぶん経つのだろう。 ケイトの髪は長年とかされていないし、ダンディとテディのくまたちは、だらしない格好をさせられたままだ。

そして、クリスマス近いある日、なんと三人は大きなごみ入れに捨てられてしまった。 子どもが成長したら、ぽいと捨てられてしまう人形やぬいぐるみは多いのかもしれない。

最近のことを考えても、キーワードは「捨てる」だ。
たとえば整理術の本を読むと、子どものおもちゃは場所をとります、大切なもの以外は写真にでも撮って捨てましょうと書かれている。
こういうものを読むと、昔よりずっと人形たちは捨てられているのではないだろうかと思うのだが、どうだろうか。 さて、物語に戻ろう。
ごみ箱の中に入れられた人形たちはごみと一晩すごす。 朝になって光が入ってくると、彼らは俄然、行動的になる。
それまで動かなかったのが、うそのようだ。 モップや傘でごみ箱のふたをつっついて持ち上げ、ついにはふたをどけてしまう。
そうなれば、ごみ箱からの脱出だ。 三人は町外れまで歩いていく。
元気な三人組に転身したかのようだ。 町はずれにはおもちゃの機関車が捨ててあって、草むらからそれを引っ張り出す。
三人はそれに乗って新しい家を探しに行く。 機関車といっても、おもちゃのだからか、レールの上を走るのではなく、まるで自動車のように、自由に道を走っていく。
スピードをあげて坂道を勢いよく下るなんて、爽快だ。 機関車はいくつもの町を通り抜けていく。
やがて、誰も三人に人間が気がつかないので、人形たちはつまらなくなる。 こういうところを読み、人形には人間が必要なのだということを多くの作家が書いていることを思いあわせれば、人と人形は互いに必要な存在なのかもしれないと思う。

彼らが家を恋しくなってきたとき、おもちゃではない、本物のディーゼル機関車が近づいてくる。 踏切が下りているので、彼らは停車する。
そこは踏切番の家のわきだった。 その家の窓から女の子が顔を出す。
この子は踏切番の家の子だった。 女の子はおもちゃの機関車に気づくと飛び出して行って、人形たち三人を一人ずつ、そっと抱きかかえる。
そして、家の中に入れてあげる。 この夜はクリスマス・イブの夜で、見事なツリーの下にはプレゼントのおもちゃがいっぱいある。
けれども。 女の子は機関車に乗ってきた人形たちを「いちばん、かわいがってくれたのです」。
捨てられた人形やぬいぐるみたちは新しい人間の女の子に助けられ、住む家も見つかり、なにより、女の子にかわいがられたのだった。 やっと、人形たちは楽しく遊んでくれる人にめぐり合えたのだ。

なんてすてきな物語の最後だろう。 こうして新たな環境や人形を愛してくれる子どもに出会えたのも、三人がごみ箱に捨てられても、しかたないやとあきらめたりしなかったからだ。
彼らは知恵や勇気を出して逆境から這い出した。 それも、楽しげにおもちゃの機関車に乗って知らない町をいくつも通って走りつづけたのだ。
この恐れぬ勇気が、最後にはやさしい女の子とめぐり合うというハッピーエンドを引き寄せたのだろう。 困難な状況にあるとき、この絵本はそれにめげない心を教えてくれるかもしれない。
決して大上段にこうしたことをメッセージとして伝えているのではないけれども、淡々と人形たちの行動を見せてくれながら、静かに語りかけてくれているようだ。 幸せは自分で動き、つかみとることができること、それには月夜の晩に機関車で町をめぐったように怖さを恐れずに進むことが必要で、その力はみんなが持っているんだよといってくれているようである。
E氏の絵は少し古風で、だからこそなじみやすい。 安心しながら見ていられる。
こんな絵本をおじいちゃんからプレゼントされた孫たちは幸せだ。 だが、作品は画家や著者からのプレゼントなのだと考えると、私たち読者にとってもそれは変わらないだろう。
この本は古典的な絵本だ。 ここにはビルという人形が出てくる。
赤い上着に水色のズボン、両手にはシンバルを持っている。 なにより特徴的なのは黒い毛で作られた長い帽子だ。

まるで、衛兵のようだ。 シンバルを持っているから、衛兵の楽隊だろうか?
ビルの持ち主はメリーという少女。 ある日、メリーはおばさんからの手紙を受け取る。
遊びに来たらどうかという、招待の内容だった。 メリーは返事を書く。
幼い子どものたどたどしいことばづかいだが、火曜日に行くと約束する。 この物語は主に少女と人形の登場する話で、込み入っていないのでわかりやすい。
それはたとえば、おばさんの家に行くか行かないかの決定にメリーと家族とのやりとりが出てこないというのもその一つで物語が核心をはずさないで進んでいく。 ビルはおばさんの手紙の上に置かれて描かれていて、ここで初めて出てくる。
まるで、メリーが行くなら、僕がお供しますとでもいうように、すっくと立っている。 ここで、メリーとビルに信頼関係があることがわかる。
それから、メリーはおばさんのところに行くときの荷造りをはじめる。 たいていこういうときに、子どもは大事なものを全部持って行きたがる。
滞在が一日でも何日でも変わらない。 大切なものといっしょにいたいのだ。
メリーもそんな子どもである。 離れたくない物がたくさんある。
持って行きたい物は多い。 葦毛のアップルという木馬、毛皮の手袋、人形のスーザン、笛、赤い靴、ティーポットにブラシやお財布。

「それから、もちろんかしこいビルはおいていくわけにはいかないし」といって、お父さんにもらったトランクにそれらを詰めはじめる。 大人にはそれは置いていってもいいのではと思うような物でも、メリーにとってはどれも大切、いっしょに連れていかなくてはならない物なのだ。
メリーはこれらをあれこれ入れ替えながら、トランクに詰める。 それが五ページつづくのだが、私はこの五ページを見るのがとくに好きだ。
どうしても入りきらない物が出てくるので、何度もトランクに詰め直しを繰り返すのだが、もう本当にたいへんそう。 なんとか入りきれないかと見ているほうの私たちまで頭を使ってしまう。
メリーがトランクに入れる物を決めたり、苦心してトランクに納めようとする場面にも大人が出ていない点にも注目したい。 子どもはそれなりになんとかやりとげるのだ。
気のすむようにやるのがよい。 ところが、どうしてもトランクに入りきらないのでメリーは最後にはめちゃくちゃに押し込む。
しかし、トランクを閉めている場面のページの片隅にビルがいるのだ。 大事なビルはトランクに入れられるのを忘れられてしまった。
なんということ!ビルは座って、床に水たまりができるほどのあふれる涙を流して、悲しむ。 ビルがメリーをどんなにか慕って、信頼しているかがよくわかる場面だ。

胸にぐっとくる。


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